登山日誌

追憶の島々谷

投稿日:2011年8月5日 更新日:

 

 十年振りに島々谷を歩いた。

下見を兼ねた今回の山行は上高地から島々へと抜ける前回とは逆のコースとなる。

4時に家を出て同行の友人を拾い、雨の高速を飛ばす。
新島々からバスに乗り換え、上高地入り。
朝露に濡れたヤナギランやクサボタン、ソバナの花が美しい。
この辺りの野草は八ヶ岳周辺のものより幾分大きいような気がする。
河畔の滋味の違いだろうか。

梓川右岸の木道を明神まで歩く。
ニホンザルが涼しい顔をしてすれ違うのも上高地らしいということだろうか。
これが日光辺りだとこうは行かない。

青空を仰ぎながら明神橋を渡って左岸へ。
白沢出合からは徳本峠への路に別れた。
とたんに人の気配が消える。
白沢のガレを抜け、古い峠路に掛かると雨になった。

峠に着いた頃には雨もおさまったが、明神岳の勇姿は雲ですっかり見えなくなっている。
ここで昼食。

十年前は晩夏の島々谷の遡行を終え、暑さに疲労困憊してここに辿り着いたことを思い出す。
注文したうどんが中々出て来なかったこと。
現れたのが手作りの本格的なものだったことに感心したことなども懐かしい。
あのときの小屋番さん、まだ元気だろうか。
うどんを食べながらゆっくり休んで穂高の連稜を眺めた後、峠を下り、疲れた足取りで徳沢に着いたのが午後五時頃だったから、峠に着いたのは午後二時くらいだったろうか。随分時間が掛かったものだ。
あのときは槍を目指していた。
W.ウェストンや小島烏水、串田孫一の紀行文を読んで、槍に登るのなら上高地への入山はこのルートしか無いと思い定めて、勇んで島々から歩き始めたところまでは良かったのだが。

小屋のご主人に挨拶を済ませると早々に峠を辞した。12時。
急に雨脚が強まり、つづら折りの下りは豪雨の中を歩く。

路が沢沿いを行くようになると雨も収まって来る。
それにしても六月のゲリラ豪雨による傷跡が生々しい。
何本かの橋は流出し、川岸は深くえぐり取られて、道形を失わせている。
何度か飛び石伝いのきわどい徒渉を強いられた。

徒渉以上に危険な滑り易い桟道を何本か越えると懐かしい岩魚留小屋の大カツラが現れた。
ここで休憩。
十年前も無人だったが、2009年以来今も閉じられたままだ。
丈高い雑草に半ば覆われた茅屋は古き良き岳人達の夢の跡のようにも見える。

友人がここで自作の手回しオルゴールを聴かせてくれる。
古びた縁側に置かれた精巧な音の小箱は軽々とバッハを紡ぎ出し、暫し沢音とのアンサンブルが周囲に谺する。
「主よ、人の望みの喜びよ」。
かつてこの谷を遡った英国人牧師を忍んで、彼が選んでくれた曲。

二股までの路は記憶通りの良路だった。
良く踏まれた山道は雨に濡れた河畔林や下草の緑が鮮やかに輝く中を百年前と変わらずに続いているようにも見える。
路傍のシデシャジン、サワアジサイ、タマアジサイも雨に濡れ、ひと際美しく咲き競っている。
そして戦国落人受難の碑はいつ見ても悲しい。

二股からは退屈な林道をひたすら島々を目指すのみの緩慢な2時間だった。
島々着18時。

帰途に寄った安曇野の温泉からは松本の夜景が遠い銀河のように曇り空の下に鈍く輝いていた。

 

ウェストン碑に立寄った。

霞沢岳と三本槍。

青い釣り鐘に朝日が透ける

木道を歩くニホンザル。

青空のもと、明神橋を渡る。

白沢へと別れてゆく。

センジュガンピ。白いナデシコといったところか。

徳本峠小屋。昨年リニューアルしたばかり。

タマガワホトホトギス。茶花にうってつけなのだが。

朽ち橋。もう渡れない。

フシグロセンノウ。花が大きい。

岩魚留小屋の大カツラ。

これがハンドメイド手回しオルゴール。詳しくはこちらへhttp://www.taneta.jp/

シデシャジン。これでもキキョウの仲間。

サワアジサイも多様な色彩。

林間の古道をゆく。

雨で増水した流れ。

こんな橋もある。

行き橋を渡れば二股も近い。

島々の集落では紫陽花が見頃だった。

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