山想

山小屋考

投稿日:2011年10月5日 更新日:

10月に入れば山は秋の数日を足早に駆け抜け、早くも冬の装いを始める。
後半ともなれば人の訪れも急激に減り、山小屋も徐々に閉ざされてゆく。

今年も随分多くの小屋のお世話になった。
通い慣れた小屋もあれば、新しい小屋との出会いもあった。

そもそも山小屋の始まりはどういうものであったろうか。
原型は猟師や杣夫の山間のベースだったものや信仰登山者の山中宿、シェルターとしての石室等。
明治期における近代登山流入以降は登山者の便宜に供するための純粋な目的で建てられたものも多いのだろう。

現在全国の山にどれだけの山小屋があるかは数えたこともないが(きっと簡単に数えられるのだろうけれど)、この登山隆盛の時代、山小屋無しで登山を語ることが出来ない程その存在は大きい。
特に登山ツアーの場合、山小屋なくしては企画が成立しないといっても過言ではない。
戦前あるいは戦後間もない頃の登山者はかなり重い荷物を背負ったようだ。長期の天幕(テント)縦走などでは10貫ぐらいは当たり前だったようで、ハイキングを除けば女性などもかなりの重量を背負えなければ山に行けなかった時代であったと聞く。
40kgを背負えといわれて簡単に請け合える人がどれだけいるだろうか。
情けない話しだが、はっきり言って自分自身即答する自信は全くない。
時には40kg以上の人を背負うこともあるが、平地や下りで1時間も歩くとバテバテになる。
ましてや長時間の登りともなると

つまりいかに現在の装備が軽量化されたとしても、全天候型、完全自立カタツムリスタイルでの登山を基準に考えれば、現在の登山者の90%以上(根拠はない)は登山者名簿から除外されてしまうかもしれない。
だから山小屋無しでの登山は語れないのだ。

反面プライベートで小屋を利用した記憶はない。
ガイドを始める以前は小屋に対して漠然としたネガティブなイメージがあって、あえて敬遠していた。それに何といっても小屋代が惜しかったのが最大の理由であったことも隠せない事実である。
40kgは無理としても25kgぐらいの荷物は背負えたし(名誉のためにいえば、現在も)、それぐらいで23泊の縦走は何とかこなせる。

だからガイドを始めて小屋を利用するようになるとその便利さ有り難さが身にしみると同時に、以前のネガティブなイメージがあながち間違ってはいなかったのだということも認識できるようになった。
今プライベートでテント泊か小屋利用かどちらを取るかと問われればテント7割、小屋3割といった比率で答えるだろうか。即座に100%テント、と答える若さが失われたのは少し寂しいところだが、結局はその時点での天候と、どこに泊まるか、というところに行き着くのだろう。

登山者からの身勝手な視点からいえば山小屋の究極の存在意義はシェルターである。
盛夏の穏やかな夜だったら樹林帯であれ、稜線であれ1泊ぐらいのビバークはそれほど難しいものではない。
但し荒天時となると話しは全く変わって来る。雨や強風、低温、あるいはそれらが複合した状況では一夜を絶え抜くのも至難となるかもしれない。

その意味からすれば、12泊の宿泊なら無人の避難小屋でも何ら差し支えはないことになり、事実その通りである。
水が確保でき、数日分の食料(場合によっては燃料も)と寝具が背負え、加えて小屋が空いていればこれはもう天国である。(同宿者の数と人間性によっては地獄になりえることもあるが)

しかし現実はそれ程甘くはない。
北陸や東北、北海道の山々を除けば避難小屋が主体の山域は非常に少ないのが現状だ。
日本アルプスといわれるエリアではまず営業小屋に頼るしか手だてはなく、荒天時といえども予定ビバークも禁じられている。
故に「メリットとしてのシェルター=営業小屋=デメリットも付随」という構図も覚悟しなければならない。
20名前後が当たり前の、中には体力十分とはいい難い参加者が混じることが通例のツアーパーティーにはまず屋根と壁があるところに入れることが最重要な命題である。

次には食事、寝具、トイレということになるが、これについては個人的には重要視してはいない。
どれも程々のもので良いと思っている。
確かに食事内容によっての小屋それぞれの評価はあるが、様々な小屋側の事情を考えるとどの小屋の食事も全く許容範囲のものである。
寝具しかり、トイレもまたしかり。(正直言うとトイレだけはもう少し何とかならないかというところはあるけれど…)

となると次ぎにくるのはスタッフのホスピタリティーということになろうか。
雨の多い時期の乾燥室もかなり重要なウェイトを占めるけれど、これを持たない小屋もある以上一律には論じられないので、この使い古されて少々手垢がついた言葉の登場となる訳だ。

小屋のスタッフはおしなべて無愛想な人が多い。それも男女問わず。

山には色々な人間が登る。ということは小屋の側から見ればまさに多様な人間を受け入れざるを得ないことになる。登山者同士、ただ単にすれ違ったり、山頂で出会ったり、小屋で同宿したりするだけでも快不快は感ずる程で、中には思いっきり不愉快な人間と出会うこともある、ましてや小屋のスタッフともなればシーズン中は毎日数十人から数百人を相手にする訳だから、そういった輩に遭遇する確立は遥かに高いのだろう。

夏期シーズンにはただでさえ忙しい中、不当なクレーム処理や手のかかる登山者の対応で心底疲れ切っているスタッフを見ると本当に大変だなと思う。立場が変わったとしても、いつまでも仏顔も出来ないなとも感じる。

だからこの無愛想も当たり前のこととして受け入れている。特に問題はない。

問題は実務をどうこなしてくれるかだ。こちらの要望に対し、出来ることは淡々とこなし、出来ないことは率直にその旨伝えてくれる。これが肝要だ。
後は挨拶。当たり前のようだがこれが以外に返って来ないことがある。
ある小屋では小屋前で出会ったスタッフに挨拶しても怪訝そうな目で睨まれたので、再度大声で挨拶するとやっと迷惑そうに返事をしてくれた経験もある。
やはり敷地内の休憩ベンチを利用していたら挨拶抜きで小言を言われたこともあった。
無論ホテル並みの対応を期待しているわけではないが、いかに悪質な登山者が多いといっても、良識ある大人にはやはり良識ある大人の対応をしていただきたいと思う。
スタッフ同士ではあれほど朗らかに談笑しているにもかかわらず、一旦客に向き合うと豹変するというのは如何なものだろうか。

少し酷評に過ぎたかもしれないが、悪い印象は残りやすいものだ。
冷静に考えれば、今年利用した小屋の中には明るく丁寧な物腰のスタッフが好印象だったところも少なくはなかった。特に若いスタッフが切り盛りしている小屋に多かったように思う。

今年初めて利用した裏銀座方面のある小屋では本当に救われる思いをした。
その日は断続的に降る雨と風に終日晒されて、視界の利かない山頂からはいやに長く感じられる下山路を下着までずぶ濡れで歩き通し、這々の態で小屋に転がり込んだのだった。
こんな時は大概濡れた雨具はいったん軒下などで水を切り、濡れたザックなどはすぐには持ち込めない。まずは小屋を濡らさないように指示されて、落ち着いたところでようやく入室を許されることとなる。
しかしこの時は違った。まず濡れた雨具はすぐに専用水切り室へ。ザックも新聞紙を敷いた土間の板敷きへスタッフ自らが並べてくれる。濡れた衣類もすぐに乾燥室へ干すことができた。
そして何より有り難かったのは、土間の板敷きに灯油ストーブが煌煌と燃えていたことであった。
その周りにはテント泊の女性達も陣取って体を乾かしている。
奥の談話室にも同様にストーブが焚かれている。やがて乾燥室にも火が入る。
真夏でも終日濡れて歩いた後は芯まで凍えてしまうものだ。そんな時これらの暖房器具ほど有り難いものはない。
そしてこれらの対応の間中スタッフは本当に親身に世話を焼いてくれた。

一般的に山小屋の経営というものがおしなべて順調であるのか、あるいは不振なのかはわからない。
多額な利益を生み出しているところの話しも聞くし、登山者の減少により廃業に追い込まれたケースも聞く。ほとんどの小屋でヘリ代など経費も相当にかかるのだろうから、登山者が殺到する一部の小屋を除いてはどこもそれほど余裕のない経営を強いられているのではないだろうか。
だから無理は言えない。

とはいえ、濡れて入った小屋の中で火の入らないストーブを震えながら眺めること程情けないものもない。
誰もがもう千円払ってもストーブに手をかざしたいと願う気持ちも分かっていただきたいと思う。
要は心意気なのだ。
それさえ感じられれば客は何度でもリピートするだろう。

どんなに時代が変わっても、一部の自己完結型強力ハイカー以外の殆どの登山者は山中にあってはやはり弱者である。彼らにとって山小屋は相変わらず唯一の宿り場であることには変りはない。

-山想

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