ガイド日誌

澄み渡る秋空。霞沢岳往復、島々谷下降記

投稿日:2017年10月1日 更新日:

 

9月24日からの三日間、霞沢岳と日本のクラシックルートのひとつである島々谷をご案内しました。三日間とも終日不安を全く感じさせない好天に恵まれたお陰で、このタフなロングコースを無事歩き切ることができました。

二日目の霞沢岳のK1ピークから眺めた明神、穂高のパノラマはこれまでに見た中でも最高の素晴らしさでした。

三日目はクラシックルートの下降。

かつては上高地入山のメインルートであり、ウォルター・ウェストンも槍穂高登山のアプローチで度々歩いた島々谷。
私も初めての槍登山の際、明治から昭和にかけて先人達が利用したクラシックルートにこだわって、徳沢園までへとへとになりながら歩いた懐かしいルートでもあります。
相変わらず所々枝沢からの崩壊地はありますが、橋なども含め全体に整備が行き届いていました。
こういった山岳古道はいつまでも守っていきたいですね。

 

この天気ですから、この人出。ここには一般観光客、ハイカー、登山者が当たり前に共存しています。どのジャンルも全く違和感のない不思議な場所。

お決まりの場所でお決まりの山を背にして。夏雲がひと際壮快です。

徳本峠までの路傍にはセンジュガンピが咲き残っていました。まさに清楚の言葉がぴったりです。

初日の夕食。二日目はメニューも変わります。初日は「本館」にて就寝。「旧館」じゃなくて「本館」。呉々もお間違えないように。

本館の前で。これから霞沢岳へスタートです。二十年程前にはこの本館しか無く、ここでうどんを食べた記憶があります。当時初老の小屋番さんが一人いるきりで、時間をかけて丁寧に作ってくれたうどんの味は忘れられません。

朝焼けの穂高。ウォルター・ウェストンは「波打つ稲穂の山」と表現しています。

霞沢岳遠望。まだまだ遠い。この長い尾根は徳本峠からジャンクションピークまでおよそ290m登って一旦140m下り、その後も小さなアップダウンが繰り返され、最後にK1ピークまでの急登が待っています。

道端でのコーヒーブレイク。このコースにはあまり適当な休憩地がないので、必然的にこんな場所で。

この辺りからK1へのきつい登りが始まります。ここはまだ序章。

K1ピークから眺める穂高連峰。見事というほかない素晴らしい大パノラマです。右手には常念山脈、左手には焼岳を手前にして笠ヶ岳、双六岳、遠く加賀の白山まで遠望できました。

K1からK2へ。東側にはきわどいガレがあります。

今年はコケモモが当たり年でしょうか。

霞沢岳を振り返って。既にダケカンバの紅葉が這い登りつつあります。

オヤマリンドウ。この時期にはこの花とトリカブトぐらいしか見当たりません。

 

奥には乗鞍岳と御岳。全てがクリアでした。

一日のうちに紅葉が進んだ気がします。

三日目は島々谷の下降。朝日が美しく古道を照らします。

今が盛りと落ちていたトチの実。このあとこの実を盛んに食べている猿の群れに遭遇。食べ散らしたあとが随所に見られたので、それまで熊の仕業と思い込んでいたのですが、これで少しほっとできました。今回は珍しく熊鈴を携行しました。

こんな大小の橋を何回となく渡ります。

岩魚止小屋前のカツラの巨木。この樹は大正2年に高村光太郎と千恵子がこの道を歩いた際、紅葉の素晴らしさを讃えた樹だそうです。周囲には甘い香りが一面に漂っていました。

今は無住の岩魚止小屋。二十年程前に初めてこのルートを遡った時には営業中で、宿泊客もいたように記憶しています。オーナーが台風の増水時に対岸にいた一人の青年を渡そうとして流されて以来、閉鎖されていると聞きます。

こんな桟道が何回も現れます。

いにしえの佇まいを残す道形。

離れ岩の上の橋で。

直下には滝も掛かっています。

ダイモンジソウがきれいでした。

ヤマシャクヤクの実もはぜていました。

行き橋まで来ると二俣まであとわずか。

戦国の悲劇に思いを寄せた折口信夫の歌碑。”をとめ子の 心さびしも清き瀬に 身はながれつつ人恋ひにけむ 釈迢空”と記されています。

こんな猿の群れに何度か出会いました。人慣れしていない無垢な野生です。

二俣からの林道歩き2時間弱。長いです。

8時間弱を歩き切って島々宿に辿り着きました。ここからタクシーで一旦沢渡まで戻って帰ります。

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